なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88)
「なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ88)」のレビュー・感想

【教育を社会科学の視点で分析・・・】
来年度から、新学習指導要領が小学校で完全実施される。中学校は24年度からだ。この本は、およそ10年前、現行学習指導要領における、いわゆる「ゆとり教育」と教科書最低基準発言などで世論が侃々諤々に盛り上がった頃のモノである。
教育改革は「大いなる希望をもって始まり、大いなる失望をもって終わる」とはよく言われることである。旧文部省の寺脇研という大馬鹿が、あくまでも大都市圏の歪んだ受験偏重・偏差値偏重への反動として「ゆとり教育」を全国的に敷衍した。
地方の実態を何も知らず、上意下達の教育行政に...

【社会変化を踏まえた教育方針の必要性】
社会変化を踏まえた適切な制度設計というのは、いつの世であっても容易とはいえないだろうが、
「社会の成熟化→ゆとり教育」という方向性は、成熟化のもたらす負の側面(世の進むべきベクトル設定の困難さ、人々による社会格差・差異への鋭敏性向上etc.)という部分を楽観視していたがゆえの方向性設定であったように感じる。
その点をしっかり突いている本書は良書と感じる。
※教育制度の設計にも”性悪説的”思想が一定程度必要かと・・・。
ただ残念な部分が1点・・・。
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【「ゆくえ」,「危機」,「幻想」,そして「不毛」】
経年的に題名だけを追っていくと彼の教育に対する姿勢の変遷が分かる。つまり,教育の「ゆくえ」,「危機」,「幻想」ときて,本書の「不毛」。この「ゆくえ」はひらがなで書いてはいるが,“迷走”と読むべきだろうから,苅谷は現代日本教育の「ゆくえ」(迷走)を憂慮し,「危機」を言いたて,ついにその改革が「幻想」だと見抜き,改革論議が「不毛」と言い放ったと言える。起承転結(!?) 本書は,第1部の一部「もう学力論争は終わった」(中井浩一との対談)と終章(書き下ろし)以外は全て,『毎日新聞』『読売新聞』『論座...

【教育問題は教育のみの問題にあらず】
これまで短絡的につなげられてきた教育議論の矛盾を指摘、整理し、
かつ、これまで見落とされてきた新たな「問題同士の関係性」を端的に解説している。
平等社会ではなく、「よりましな不平等社会」へ。
「生きる力」に代表される一律の新しい学力観は、子どものそもそもの知的水準の差を考慮に入れていない。
さらにその結果、社会の雇用システムの現状と比較して、「自己実現アノミー」が生じている。
学校ではぐくまれる「個性」は、学校が持つ「隠れたカリキュラム」に準拠するものを逸脱し...
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